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Unilateral Curious

一方通行な好奇心の数だけアウトプットをしよう

特定の属性を見下すことで、自分を守ってきた。そして、ある日、人間関係とコミュニケーション壊れ、自分が潰れた

マインド

この記事を読んで、色々思うことがあったので文章に起こしておきたい。ただし、僕自身も頭の中がまとまらないままに書きなぐっているので、悪しからず。

p-shirokuma.hatenadiary.com

僕は、幼稚園から高校まで常にクラスや学年の中心にいる1人(良い意味)として、活発な少年時代を生きてきた。勉強も出来たし、スポーツも万能で、先生との関係性も良く、いわゆる優等生だった。誰とでも分け隔てない関係を築き、友人も多かった。(とはいえ、完全な優等生だったわけではなく、それなりに多感な時期もあったことは言及しておく)

しかし、上京してからというもの、徐々にその頃の自分は消え失せ、今や他者と比較し、選別(尊敬する or 見下す)する日々を送ってきた。

 

「どうしてそうなっちゃったんだろう。」

 

実は、僕が他者と比較し見下していることに気づいたのも、最近のある出来事がきっかけだった。その出来事のおかげで、原因を考えるようになった。なぜなら、僕自身もそういう自分が嫌いで、もっと自分に集中したいと思っている。それなのに、いつの間にか見下したりしていて自己嫌悪に陥るという無限ループを早く脱したいと思っているからだ。

 

理由の1つは、あるコンプレック

私が観察する限り、「高学歴でなければ不幸になる」「低学歴は人生オワタ」って本気で思い込んでいる人は、それが態度に現れたり、言葉の端々に滲み出たりするものです。

特定の属性を「不幸な奴」「人生オワタ」って決めつけるとコミュニケーション能力が下がる - シロクマの屑籠

最近、母親から「あなたの言葉にはトゲがあるし、人として冷たい」と言われることがあったので、シロクマさんの指摘にグサリときた。(お前がグサリとするなという話だが)

僕は家族の中で唯一の高学歴と言われる部類に属している。その学歴が直接関係あるのかは分からないが、小さい頃に遺書を残して失踪した父(存命)や生活のために年金受給をしている前々夫と再婚し家庭内別居をしている祖母、自己破産をしてお金に困っているにかかわらず就職先が限られている弟(いずれも高卒、祖母は中卒?)を見たり、話を聞いたりしていると、大学まで行かせてもらって就活も困らなかった僕の環境は本当にラッキーだったと思うし、明らかに僕の選択のほうが正しかったと思ってしまう。もちろん家族のことは嫌いじゃないし、むしろ弟を頼りにしている部分もあるのだが、「自分が家族を持つとしたら、もっと"良い"家族にしたい」と強く思っている自分がいる。い。その家族像に対するコンプレックが、他者と比較して優越を決めてしまう原因の1つだと感じている。

 

もう1つの理由は、自分の居場所作り

家族から言われたことは一度もなかったが、何かある度に親戚や近所、両親の友人から「〇〇くんは△△高校だもんね、すごいね」とか「△高校から□□大学ってすごいね。弟くんも勉強できるの?」とか言われてきて、高校時代からすごく辟易していたのを覚えている。(それが今も地元に帰りたくない理由の1つでもあり、帰省しても知人と会わず、家族としか過ごさない理由でもある)

僕自身はその一方的などうでもいい羨望が大嫌いで、それがいつの間にかその人たちを隔てる境界になっていたらしい。そういう人たちとの接点がない、居心地のいい場所を作るようになったということだ。

それが大学生や社会人になってどんどんエスカレートし、比較して隔てるだけではなく、見下すことで得られる優越感によって自分のポジショニングを確認して「その居場所にいていいんだ」という安心感を得ていた。

 

コミュニケーションと人間関係が潰れて休職した、そして気づいた

特定の属性を「不幸な奴」「人生オワタ」って決めつけて平然としている人は、ただそれだけでコミュニケーション能力を下げてしまっているのです。きっと、気付かぬうちに敵を増やし、味方を減らしていることでしょう。 世の中は広いようで意外と狭いものですから、「○○は不幸な奴に違いない」「○○は人生オワタ」って言動は、どこかの誰かに意外と刺さってしまうものです。私達は人間ですから、ときに、そういう気持ちが沸くこともあるでしょう。ですが、そういう気持ちを言動に反映させたまま、反省するところがなければ、うまくいくはずだったコミュニケーションや人間関係も潰してしまいます。

特定の属性を「不幸な奴」「人生オワタ」って決めつけるとコミュニケーション能力が下がる - シロクマの屑籠

そして、2015年の9月頃、よくわからないきっかけで人間関係がギクシャクし、会社に行けなくなり、鬱の診断をもらって休職した。今は復職し、社内でも出来るだけ平然を装っているが、多少のギクシャクした感じはシコリととして残っていると思う。(口に出さないだけで、全員が感じていると思う)

他者と比較し、見下すことで今のポジションを作ってきた分、復職した今でもその出来事のショックは大きく、

「これで、僕もそうじゃないほうの仲間入りだ。」

「こうなってしまっては会社で出来ることはなくなった。僕のストロングポイントだと思っていたものは、幻想だったんだ」

「会社の信頼も0になった。今までの実績もリセットされた。むしろマイナスになった。評価がリセットされるのがすごくもどかしい。なぜ、あの人と評価が一緒、むしろ僕のほうが低いんだろうか。でも、評価されないのは自業自得か。一度全て放ったんだもんな。」

「腫れ物として扱われているんだろうな。そう扱わないようにという気遣いも感じる。ここにいる意味あるんだろうか。」

と、決して大げさではなく、今も日常的に上記のような考えがグルグル頭のなかを回っている。比較し見下していた対象が、他者から自分になってしまった。今は、ここからどうやって抜け出そうかもがいている。

 

いろんな人を軽蔑して回る人よりは、いろんな人に敬意を示している人のほうが好かれやすいし、自分自身の精神衛生にも良いと思うんですよ。もちろん、形ばかりのおべっかはじきに見抜かれてしまうので、本心から、いろいろな人に敬意やリスペクトを感じられるのがベストですが、すぐに身に付けるのは難しいかもしれません。

特定の属性を「不幸な奴」「人生オワタ」って決めつけるとコミュニケーション能力が下がる - シロクマの屑籠

見下すことをやめようと敬意を示そうとしているのだが、どうしてもうまくいかない。敬意が形骸化してしまい、どうしても見下そうとする感情に支配されてしまいそうになる。

 

自分に集中しよう

比較したり見下し、見下されたりしないためには、どうすればいいか考えていたら、まずは関心の対象を自分に向けて、自信を付けるしかないという結論に至った。↑のツイートはそう思っていたところ、たまたまいいタイミングでタイムラインに流れてきた。面識ないですが、けんすうさんありがとうございます。

自分自身に絶大な自信を持つという目標を持てば、他者を比較している暇なんてないというのは至極真っ当だなぁと。相対評価は第三者がすればいい。自分はあくまで絶対評価に徹しようと思っているのが今。

そう思い始めてから、目の前に仕事に少しずつ集中出来るようになってきた。依然としてコミュニケーションによって感じるストレスは大きいけれど(自分だけでなく恐らく相手も)、段々そのストレスも軽減してきたようにも感じている。軽減というか、多少耐えられるようになってきたのかもしれない。内向きではあるが、前にすすめるようにはなっているので、変に立ち止まらず一歩ずつ進んで、前よりも尊敬できる自分になりたいと思っている。

 

特定の属性と比較し、それによって見下したりすると、いずれ自分自身が崩壊するときがやってくると思う。

なので、シロクマさんの言うとおり、少しでもそのきらいがあると感じた人は、少しずつでも他者をリスペクトする気持ちを持っていくことが大事だと思うし、それができなかったら自分自身にもっと集中するように、修正することをおすすめする。

なんにせよ、属性で人を決めつけ、ましてや、見下すなんてのは処世術としては下の下だと思います。見下しの気持ちよりも、リスペクトの気持ちを大切にしながら暮らしていきたいものです。

特定の属性を「不幸な奴」「人生オワタ」って決めつけるとコミュニケーション能力が下がる - シロクマの屑籠 
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